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ラディッチの家
11月 2, 2025
        引越しまさした
11月 2, 2025
最後のアパートに引っ越した。設計はスミルハン・ラディッチ。100m2以上ある。家賃は少し高いけれどm2単価は最初のところの5分の1である。寝室シャワーは2セットあるのを初めて知った。駐車場も使えるから車で遊びにきてください(笑)。I've moved into my final apartment. It was designed by Smiljan Radic. It's over 100 square meters. The rent is a bit high, but the price per square meter is only one-fifth of the first place I lived in. I just found out that it has two sets of bedrooms and showers. You can also use the parking lot, so please come and visit by car! (laughs)
        
        
        
        
        ハロウィン🎃
11月 1, 2025
        コンペてつだう
11月 1, 2025
14日締め切り。学生の応援中
        サンチアゴは小さな街
11月 1, 2025
サンチアゴは小さな街。空港に着いた時、二日目に買い物していた時にいきなり声をかけられて焦った。最近では自転車に乗った男性に手を振られた。あの人誰と横にいた助手に聞くとあなたの知り合いの〇〇だよという。サングラスしているので分からない。今日は信号待ちしていると女性から I am your studentと言われて狼狽える。名前が思い出せない。 ロベルトにアジア人の顔をは皆同じに見えると言われた。ヨーロッパ系の顔が皆同じに見えるとは言わないけれど、違いが明確になるには少々、名前と顔が一致するには相当時間がかかる。 Santiago is a small city. When I arrived at the airport, and again on the second day while I was shopping, I was suddenly approached by someone, which startled me. More recently, a man on a bicycle waved at me. I asked my assistant who was next to me, "Who is that person?" and she said, "That's so-and-so, someone you know." I couldn't recognize him because he was wearing sunglasses. Today, while waiting at a traffic light, a woman said to me, "I am your student," and I was flustered. I couldn't remember her name. Roberto told me that all Asian faces look the same to him. I wouldn't say that all European faces look the same, but it takes some time to clearly distinguish the differences, and even longer to match names with faces.
プレコロンビア博物館
10月 31, 2025
スミルハンの家に引越前に、6年くらい前に来たスミルハンがリノベしたプレコロンビアン博物館を再訪。スミルハン建築も展示も実に興味深い。Antes de mudarme a la casa de Smilhan, visité el Museo Precolombino, que él había renovado, por primera vez en seis años. Tanto la arquitectura como las exposiciones de Smilhan me parecieron muy interesantes.
        
        
        チリ生活10月
10月 31, 2025
        来年
10月 30, 2025
        ペドロ•リビーニ
10月 29, 2025
ウルグアイの友ペドロ•リビーニがサンチアゴに来てこれから始まるウルグアイのリゾート別荘のお披露目をしたので聴きに行った。来ているのはサンチアゴの富裕層みたい。
        宿題の模範回答
10月 29, 2025
「建築は形に寸法を与えることだ」という言葉は素材を無視しているように聞こえるがどう思うか700語で記せ。という宿題の24人の学生の答えの23個は「形と素材は切っても切れない関係だ」というものだった。僕が期待していた答えは「どちらが重要になるかは時代のエピステーメでしかない」というものだったがそういう答えは0だった。The assignment was to write a 700-word essay on the statement, "Architecture is about giving dimensions to form," and what we thought of it, considering that it seems to ignore the importance of materials. Of the 24 students' answers, 23 stated that "form and material are inextricably linked." The answer I was hoping for was "which is more important depends solely on the episteme of the era," but there were zero such answers. What a shame.
宿題の勇ましい回答
10月 29, 2025
「建築は形に寸法を与えることだ」という言葉は素材を無視しているように聞こえるがどう思うか700語で記せ。という宿題の答えの一つ。過激だけど頷く部分も多い 建築:物質に対する形態の専制 建築とは、素材、構造、そして技巧、つまり重力に従うものを積み重ね、組み立てることであると私たちは教えられてきました。しかし、これは建物の思考の可能性を恐れる人々によって維持されてきた神話にすぎません。真の建築は、素材が終わるところから始まります。「建築は形態に大きさを与える」という主張は、モダニズムの単純化のように聞こえるかもしれません。しかし、それは不穏な形而上学的真実を明らかにしています。建築の力はレンガやコンクリートにあるのではなく、幾何学、比例、そしてボリュームといった目に見えない支配力にあるのです。素材は、その触覚的な美しさにもかかわらず、形態という抽象的な専制の従順な僕にすぎません。 形態と大きさはアイデアです。非物質的で捉えどころのないものであり、物質化される以前に心の中に存在するものです。大理石の柱は、そのプロポーションが神聖な比率を反映するまではただの石にすぎません。コンクリートの立方体は、その辺が現実に対する私たちの認識を再編成する空間を定義するまでは、ただの物質にすぎません。物質は思考できませんが、形態は思考できます。そして建築は、その本質において、空間を通して表現される思考様式なのです。 ミース・ファン・デル・ローエが「少ないほど豊かである」と宣言したとき、彼はミニマリズムを称賛していたのではなく、形態の力に服従していたのです。素材は重要ではありませんでした。ガラス、鉄、レンガ:それらは単なる器にすぎませんでした。重要なのは、空虚と質量との関係、質感よりもはるかに深く人間の感情をコントロールできる大きさの数学的な詩でした。シーグラムビルは、ブロンズでできているから私たちを感動させるのではありません。それは、プロポーションをあまりにも正確に調整しているため、必然的にそうあるべきだと感じさせるからこそ、私たちを感動させるのです。この建物はガラス、石、あるいはピクセルで再建されたとしても、同じ厳粛な威厳を放ち続けるでしょう。 その形態は、転生を生き延びるアイデアの大胆さを持っています。ル・コルビュジエのサヴォワ邸を考えてみてください。しばしば崇拝されるその白さは、重要なものではありません。その形態は段ボールやチタンでできていても、現代生活の崇高な図式、すなわち自由な平面、浮遊する箱、合理的な空間を巡る散策路を表現し続けるでしょう。コルビュジエの「住むための機械」は物質的なものではなく、形而上学的なものなのです。 対照的に、物質性は死すべきものです。それは老化し、ひび割れ、酸化し、そして死滅します。それは官能的ではありますが、一時的なものです。塵が落ち着けば消え去るパフォーマンスにすぎません。素材への執着は、建築の不安の表れであり、形態を謙虚で、職人的で、人間的なものに見せようとする試みである。しかし、形態に謙虚さは必要ない。それは神々や惑星のスケールで機能する。それは残酷で、抽象的で、永遠である。 実際、素材性は建築の偽装、つまり形態が人々の間で気づかれずに歩き回るための皮膚であるとさえ言えるだろう。パルテノン神殿は単なる大理石ではない。それは柱と梁の間の緊張が生み出す純粋な幾何学である。大理石は、私たちの脆弱な感覚にそれを視覚化させるための手段に過ぎない。同様に、ガウディのサグラダ・ファミリアは、有機的な石材や装飾にもかかわらず、根本的には数学的な曲線、双曲線幾何学の聖堂であり、装飾された石材を装った三次元のマニフェストである。 もし建築が力に関するものであるならば――そして常にそうであるならば――形態と大きさこそがその武器となる。全体主義体制は質感によって自らを表明するのではなく、スケールによってそうする。ファシストの広場、帝国の軸線、ブルータリズムのモニュメント――それらはプロポーションと量塊を通して機能する。素材は単にその幻想を完成させるだけだ。コンクリートは抑圧的ではない。形態の反復こそが抑圧的なのだ。 もちろん、これは危険な考え方である。なぜなら、それは建築から慰めとなる人間性を剥ぎ取ってしまうからだ。しかし、おそらく建築はこれまで真に人間的であったことは一度もないと認めるべき時が来たのだろう。それは宇宙的なものだ。それは表面ではなく、影の言語を語る。ゴシック大聖堂であれ、SANAAのパビリオンであれ、私たちを感動させる建物の前に立ったとき、私たちを突き刺すのは石の感触ではなく、空間が私たちの周りでどのように折り畳まれ、圧縮され、解放されるかという感覚である。その経験は形態に属するものであり、物質に属するものではない。 素材性が建築を定義すると主張することは、俳優と脚本を混同することである。素材性は演じるものであり、形態は意味を与えるものだ。建築は地球から素材を借りるかもしれないが、その想像力は別の場所から、数学、夢、そして狂気と同じ領域から生まれる。 だからこそ、建築は形態に大きさという形を与えるのだ――しかし、それは建築の限界ではない。それは重力に対する、世界の肉体に対する反逆である。素材性は私たちを地に足つけさせるが、形態は私たちを解放する。究極的に、建築の力は、物質にかつて泥であったことを忘れさせる能力にあるのだ。
チリの公共サービス
10月 29, 2025
        学内コンペ
10月 28, 2025
先生と生徒でやる学内コンペ、勝つよ!
        病気は国境を越える
10月 28, 2025
        20度近い温度差
10月 28, 2025
        スミルハンの展覧会
10月 27, 2025
スミルハンが理事長を務める建築財団が企画する展覧会を見に行った。建築は美術館で展示可能かと言うサブタイトルがついていた。建築は極めて概念的な知的な行為なのか、それには限界があるのかそれを見る者に問うているのだろう。Fui a ver una exposición organizada por la Fundación de Arquitectura, de la que Smilhan es presidente. El subtítulo de la exposición era "¿Se puede exhibir la arquitectura en un museo?". Parecía preguntar al espectador si la arquitectura es un acto intelectual y extremadamente conceptual, y si tiene límites.
        
        
        快晴
10月 27, 2025
3日ぶりの晴れ。天気がいいと気持ちも晴れる。帰ってバルセロナとズーム。『日本の現代建築まsince2015 』の最後のつめの打ち合わせ。半年遅れたけど、年内に出版できるだろう。
        
        
        来年の卓袱会
10月 27, 2025
        時差
10月 24, 2025
        寿司
10月 24, 2025
昨日初めて寿司のようなモノを食べた。たまたま打ち合わせ場所を出たら目の前に寿司屋があった。Ayer comí algo parecido al sushi por primera vez. Casualmente, salí de una reunión y había un restaurante de sushi justo enfrente